本が出ました・2

(この文章はTrick-taking games Advent Calendar 2022の9日目の記事として書かれたものです)

 また「本が出ました」かよ、お前本が出て調子こいてんじゃねえの?……と言われてしまいそうですが、いいえ。今年ニューゲームズオーダーさんから次のような本も出版されましてですね、今日はその話です。

ロバート・アボット(著)、竹田原裕介(訳)『ロバート・アボット 新テーブルゲーム作品集成』

 私は2017年のトリテ・アドベントカレンダーに「デッキ構築型トリテ考(前編)」という記事を書いたのですが、その中でデッキ構築型トリテの発明者はロバート・アボットだと主張しました。その記事ではアボットはまだ健在だとも書いたのですが、残念ながら翌2018年に逝去されました。
 この2017年の記事には次のようにも書きました。少々長いですが引用します。

 《1963年にアボットAbbott’s New Card Gamesという本を出版しました。この中にトリテはわずか2作品しかないのですが、この2作品によってアボットは「現代トリックテイキングの時代の到来」を高らかに告げた、もっとはっきり言えばこれによってアボットは現代トリックテイキングを創始したと言っても過言ではないと、私はそう捉えています。》

 このAbbott’s New Card Gamesの邦訳こそがこの度出版された『ロバート・アボットテーブルゲーム作品集成』なのです。いや、原書の単なる邦訳ではなく、訳者の竹田原さんがアボットにまつわる数々の文章を探し出して翻訳して付け加えた大変な労作です。
 引用文中にもあるとおりトリテはわずか2作品、「メタモルフォシス」と「バラエティ」だけですが、この2作品によってアボットは現代トリックテイキングを創始したのです。そのように主張しているのはこの世で私だけですが。
 「いやしかし、現代トリックテイキングって何よ?」という問いに答えたのが翌2018年のトリテ・アドベントカレンダーに書いた「現代トリックテイキングへの道」という記事なのですが、その前編では次のように書きました。こちらも少々長いですが引用します。

 《Abbott’s New Card Gamesの中にはアボットが作ったおそらく最も有名なトランプゲームである「エリューシス」を始めとして斬新なアイディアが盛り込まれたゲームが並んでいます。こうしたゲーム、とりわけトリテの2作品を眺めていますと私には、アボットがこれらの作品を通じて次のように叫んでいる気がしてしかたありません。
 「トランプゲームなんてすでにたくさん、いくらでもあるんだから、それでも今さら新しいゲームをまだ作るというのなら『どんな手札が配られてもやりようがあるゲーム』を作らなきゃ意味がないだろ?!」》

 このようにアボットを絶賛している私としては、彼の訳書が出版されたのは大変喜ばしいことだと思うわけでして、こうして記事を書いているわけです。

 さて、アボットの創作トリテは2つ、メタモルフォシスとバラエティなのですが、メタモルフォシスについては2017年の記事の中でデッキ構築型トリテの元祖として紹介しました。これはこれで重要なゲームだし、面白いし、私のトリテ創作にも多大な影響を及ぼしております、が。確かにメタモルフォシスは「元祖デッキ構築型トリテ」という魅力的なキャッチフレーズ(こう呼んでいるのはこの世で私だけですが)が添えられているので(添えているのはこの世で私だけですが)ゲーマーの心を摑みやすいかもしれません、が。しかし。
 バラエティですよアナタ、バラエティ。メタモルフォシスに勝るとも劣らない前代未聞のアイディアをぶち込んでいるあたり、さすがはアボットなのですが、メタモルフォシスと比べたとき、何と言っても面白さの点で私はバラエティに軍配を上げたい。いやあ、一時期のめり込みましたねえ……。
(「一時期」というのが30年前であることに今気づいたので、え、えーと、あの、とりあえず深呼吸します)

 私が第2回TTP賞に応募して1次審査を通過した作品の1つに「相席」がありますが、おそらく誰も指摘しないでしょうから作者自ら言わせて頂きます。「あんなもんバラエティのパクリだ」
 テーブルを2つに分ける発想を除いたら、あとはバラエティしか残りません。作者が言うんだから間違いなし。残念ながら私にはパクリを作る能力しかございません。私のトリテ創作なんて、骨の髄まで染み込んでいるトリテがいくつかあって、それらを組み合わせてるだけです。バラエティがいかに私のトリテ創作に影響を与えているか計り知れません。
 トリテ創作に関して私にとって神様はデイヴィッド・パーレットです。アボットのトリテは2作品しかないので神様とは呼べません。でも、わずか2作品だけですが、私にとっては限りなく神に近い存在です。誰が何と言おうと現代トリックテイキングはこの2作品から始まるのだと私は主張します。

 ただ今回の『新テーブルゲーム作品集成』の惹句にある「早すぎたゲームデザイナー」ってのは、どうなんですかね?「デザインした自信作を誰も評価してくれないからゲーム界を去った」とかいうのなら「時代を先取りしすぎた栄光なき天才」ということになるんでしょうけど。もちろんゲームデザイナーとして生計を立てられたのならそうしたかったのでしょうし、自信作を評価してくれる人がほとんどいなくてがっかりしたのもの事実でしょうが、それでもアボットは「ゲームより迷路の方が面白い!」という単純な理由で迷路に転向したのだと私は考えています。
 プロのゲームデザイナーにはなれなかったけれども、プログラマーの仕事を楽しんでいたと『新テーブルゲーム作品集成』にも書かれています。おそらくゲームよりパズル向きの人だったんじゃないですかね。そう考えるとサム・ロイドやヘンリー・デュードニーの方向にぜひとも進んで欲しかったと思わなくもないのですが、アボットは迷路が好きで迷路創作に没頭したのだから、私がとやかく言うことじゃないですよね。
(何を隠そう、私もかつてはロイドやデュードニーを神と崇めた時代があったのですよ。いや今でも神ですが)
 もっともゲーマー視点でアボットを眺めると「早すぎたゲームデザイナー」であることは間違いないでしょう。アボットが遺したアイディアでボードゲームが数十は作れるんじゃないですかね? 私が2017年の記事に書いたアボット評を引用しておきます。

 《どんな分野でも当てはまることだと思いますが、優秀なクリエーターにも「他の人が絶対に思いつけない、とんでもなく天才的なアイディアを次々と思いつくけれども、詰めが甘い人」と「オリジナリティに乏しいけれども、他の人の思いつきを拝借して細部まできっちりと詰め、最高のレベルにまで高める人」の2種類がいるように思います。私の考えではアボットは典型的な前者タイプの人と言えます。つまり彼のゲームは発想がぶっ飛んでいて天才的なのですが、詰めが甘いところがあるのが残念です。》

 幸いアボットと同時代を生き、しかも親交のあったアレックス・ランドルフがいたおかげで、アボットのアイディアは洗練された形でいくつかのランドルフ作品の中で生きていると言えます。以前にも書いた気がしますが、ギュンター・ブルクハルトのトリテ作品は基本的にアボットとパーレットのパクリだと私は考えていて、それはつまりブルクハルト作品の中でもアボットは生きているということです。
 別の言い方をすると、「他の人が絶対に思いつけない新しいゲームを作れる人」だったけれども「売れるゲームを作れる人」ではなかったのでしょう。しかしべらぼうに頭のいい人であったことは間違いなく、だからこそランドルフとの交流を通じて「自分には新しいゲームを作る才能はあっても売れるゲームを作る才能はない」と気づいたんじゃないですかね。自分に足りないものを自覚するというのは大変な才能が要るものです。アボットがゲーム界を去った背景にはこうしたことがあったのかもしれません。(そしてアボットが去った後には「《面白いゲーム》と《売れるゲーム》の対立」という大問題が我々に残されたのかもしれません)
 ボードゲーム界で「オリジナリティに乏しいけれども、他の人の思いつきを拝借して細部まできっちりと詰め、最高のレベルにまで高める人」というと、私が真っ先に思い浮かべるのがトム・リーマンなのですが、ぜひ彼にアボット作品のブラッシュアップをやってほしいものです。
(なんて書くときっと「レースフォーザギャラクシーはサンファンのパクリだしね」って話が出るんでしょうけど、あれに関してはそんな単純な話じゃないらしいです、BGGの記事を読む限りでは。それよりはリーマンのデビュー作「ファーストフードフランチャイズ」を「モノポリー」と比べてみて下さい。あと「パンデミック」の拡張にリーマンが名を連ねているのも興味深いものがあります)

 さあこれで皆さんもアボットに興味が湧いたでしょ? バラエティをやってみたくなったでしょ? ルールは『ロバート・アボットテーブルゲーム作品集成』に載ってます。実はバラエティはルールを知っていてもこの本のp.45にある一覧表がないとプレイできないゲームです。ご興味をお持ちの方はぜひご購入を。

黒宮公彦