現代トリックテイキングへの道(前編)

(この文章はTrick-taking games Advent Calendar 2018の16日目の記事として書かれたものです)

 誠に申し訳ございませんが、この文章をお詫びと訂正から始めなければなりません。私は昨年のトリテ・アドベントカレンダーに「デッキ構築型トリテ考(前編)」という記事を投稿したのですが、そこで次のように書きました。
 「それでもアボットが遺したものは大きかったと思います。彼は創作したトランプゲームを1冊の本にまとめ、1963年にAbbott’s New Card Gamesというタイトルで出版したのですが、この本に衝撃を受けて自らもトランプゲームの創作を始めたのが誰あろうデイヴィッド・パーレットその人なのです。」
 こういうことを何かで読んだ記憶があったのでそう書いたのですが、先日改めて出典を探そうとしたところ見つけることができませんでした。となると私の勘違いかもしれません。パーレットがアボットの著書に影響を受けたのは確かでしょうが、ゲームの創作自体は子供の頃からしていたようです。なので「パーレットがアボットの著書に衝撃を受けてトランプゲームの創作を始めた」というのは誤りということでお詫びし訂正させて頂きます。申し訳ございません。

 さて、同じ記事の中で私は「これによってアボットは現代トリックテイキングを創始したと言っても過言ではない」とも書きました。しかし「現代トリックテイキングとは何か」という説明は一切しませんでした。実を言うと「現代トリックテイキング」という概念は私が勝手に考えて勝手に言っているだけのものなのです。なので今回はこの点について私の考えを改めてご説明させていただくとともに、「現代トリックテイキング」なんてものがもしあるとしたらそれはどういうものなのか、それ以前のトリテと何が違うのか考察してみたいと思います。
 Abbott’s New Card Gamesの中にはアボットが作ったおそらく最も有名なトランプゲームである「エリューシス」を始めとして斬新なアイディアが盛り込まれたゲームが並んでいます。こうしたゲーム、とりわけトリテの2作品を眺めていますと私には、アボットがこれらの作品を通じて次のように叫んでいる気がしてしかたありません。
 「トランプゲームなんてすでにたくさん、いくらでもあるんだから、それでも今さら新しいゲームをまだ作るというのなら『どんな手札が配られてもやりようがあるゲーム』を作らなきゃ意味がないだろ?!」
 そう、「デザイナーが『どんな手札でもやりようがあるトリテ』を作ることを意図して作られたトリテ」、これこそが「現代トリックテイキングゲーム」であると私は考えています。昨年の発言もこの考えに基づいたものでした。

 では、これが「現代」トリテであるならそれ以前には何があったのでしょうか。マイケル・ダメット (Michael Dummett) はその著The Game of Tarotの中で、トリックテイキングゲームの歴史において根本的と言える発明は2つしかないと述べています。すなわち「切り札」と「ビッド」です。トリテの発達の歴史について考えるにはやはりこの2つを軸として見ていくのがいいと思われます。
 1370年頃トランプがヨーロッパにもたらされた時点ですでにトリテはあった、というのがダメットの仮説です。けれども切り札が発明される以前のトリテは配られた手札の良し悪しで決まる、運の要素の強いゲームだったと想像されます。特にマストフォローのトリテはディールの後半に誰かに長いスートで走られると他のプレーヤーには止めようがありません。そこで切り札が登場したのでしょう。切り札が発明されたのはおそらく15世紀の初め頃で、遅くとも1420年頃にはあったのではないかと推測されます。
 切り札が採用されてもトリテはまだまだ運の要素の強いゲームだったことでしょう。そこでビッドの登場となります。ビッドは17世紀半ば頃にスペインの「オンブレ」(「オンブル」とフランス語名で呼ばれることが多いですが、この段落ではあえてスペイン語名で呼ぶことにします)が発達させたシステムです。つまり初めからオンブレはビッドのあるゲームとして誕生したわけではなく、「ビッドなしオンブレ」から「ビッドありオンブレ」へと発展したのです。ビッドの誕生はオンブレの進化と切り離して考えることができません。
 ここに至ってトリテは運だけのゲームから脱却し、プレーヤーの技術が発揮できるゲームへと進化を遂げました。けれどもその根本原理はあくまでも「手札が良ければビッドし、悪ければ降りる」というもので、依然として配られた手札に左右されるゲームであることに変わりはないという点は押さえておく必要があります。だからこそこうしたゲームでは何ディールも繰り返しプレイして勝敗を決するのでして、その根底にはもちろん「ディール数を増やせばいつかはいい手札が配られるはず」という発想が隠れています。
 この考え方、すなわち「ディールを繰り返し行えばいつかはチャンスが巡ってくるから、いい手札が配られた人がビッドすればいい。そうすればトリテは実力勝負のゲームとなる」という設計思想を私は密かに「オンブル・スキーム」、この考え方が主流だった時代を「オンブル・レジーム」と呼んでおります(あくまでも私が勝手に呼んでいるだけですよ。また「レジーム」は「時代」そのものではなく「体制」を指すことばです。念のため)。実際オンブル・スキームは「スカート」や「ブリッジ」といった傑作を生み出したわけですから極めて優秀な枠組みであったことは間違いありません。しかし、そうであるからこそ、すでにスカートやブリッジが存在している時代を生きている我々が、それでもあえてトリテを創作するのであれば、否応なくオンブル・スキームと対峙しなければならないことになります。オンブル・スキームに従った上でスカートやブリッジを超えるゲームを作るか、オンブル・スキームの欠陥を修正することでオンブル・スキームそのものを超克するかの選択を迫られます。そしてアボットは後者を選んだわけですね。もはやオンブル・レジームの時代ではない、「どんな手札でもやりようがあるトリテ」を探求する時代、「ポスト・オンブル・レジーム」なのだ、と。
 なお実を言うとオンブル・レジームの時代のトリテの中にもオンブル・スキームの枠組みに当てはまらない、すなわちビッドのないものはありました。「ハーツ」のような「なるべく取らないようにするトリテ」、つまり「ミゼール」あるいは「トリック・アヴォイダンス」などと呼ばれるグループに分類されるゲームがその一例です。けれどもこうしたゲームも結局は配られた手札の良し悪しに左右されます。また「ルー」や「ビースト」のように「最低1トリック取れるかどうか」を争うトリテにもビッドはありませんが、これはもっと運の要素の強いギャンブルゲームで、ビッドの発明以前のトリテに近いと言っていいでしょう。ですからこうしたゲームは考察の対象から外すことにします。
 もう1つ、オンブル・レジームの時代のトリテでありながらビッドのない重要なゲームがあります。「ホイスト」です。ありゃ謎なゲームだと私は常々思っています。オンブルが大流行した後に出てきたゲームであるにも関わらず、システムだけ見ればどう考えてもオンブル・レジーム以前に逆戻りしています。実はホイストはオンブルの後に生まれたゲームではなく、オンブルよりも前からあってオンブルの大流行をものともせずに遊び継がれたゲームが復活しただけではあるのですが、時代錯誤の感は否めません。一体どうしてあんなものがオンブルの後にイギリスで流行ったのか不思議です。古いものを大事にするイギリスの国民性と関係があるんでしょうか。いずれにせよホイストの流行がブリッジ誕生の下地を作ったのは間違いのないことでしょう。

 話を現代トリテに戻しましょう。ここで「アボット以前に現代トリテはなかったのか」という疑問が生じます。これに対する私の答えは「『どんな手札でもやりようがあるトリテ』をデザイナーが『意図的に』作ろうとする、というのが現代トリテにとって重要な要素であり、その意味で現代トリテの創始者アボットだと考えていいと思う。ただし『どんな手札でもやりようがあるトリテ』の萌芽はそれ以前からすでにあった」。つまりアボット以前の、単純に「ゲームをもっと面白くしよう」という意識から生まれたゲーム(作者不明のいわゆる「伝統ゲーム」)の中にもすでに「どんな手札でもやりようがあるトリテ」の萌芽は散見されます。以下そうしたゲームを確認しながら「トリテの現代化」がいかにして進行してきたかを概観したいと思います。ここから「どんな手札でもやりようがあるトリテ」を創作するためのヒントを学ぶこともできるでしょう。またトリテ創作に興味のない人もトリテの発達史を念頭に置きつつトリテを眺めると見方が少し変わるんじゃないかと思います。

1.複数のゲームを用意する
 特定のゲームにはそれに向いている手札、向かない手札があります。そこで複数のゲームを用意すれば手札の向き不向きが解消され、どんな手札でもやりようがあるゲームとなるはずだ、という考え方です。
 実を言うとオンブル・スキームもある程度はこの考え方の上に成り立っています。「この手札は切り札がスペードなら勝ち目はないが、ハートなら7トリック取れそうだ」とか「7トリックは取れそうだが8トリックは無理だ」とかいった判断に基づいてビッドをするということは、言い換えると「スペードを切り札とするゲーム」「ハートを切り札とするゲーム」「7トリック取れたら成功となるゲーム」「8トリック取らないと成功とならないゲーム」といったように複数のゲームが用意されていて、ビッドを通じてそのうちの1つを選ぶということです。
 けれどもここでは「明らかに複数のゲームが合わさって1つにまとめられているトリテ」に話を限定することにしましょう。同時にまた、複数のゲームが1つにまとめられているというと例えば「ポッホ」という古いトランプゲームがあったりしますが、ここではトリテに限定しましょう。
 そうするとまず「クォドリベト」「バルビュ」「キング」といった一連のゲームが思い出されます。こうしたゲームの発祥について私はよく知りませんが、生まれたのは19世紀後半でしょうか。おそらくクォドリベトはオーストリア、バルビュはフランスで誕生し、キングはバルビュから派生したのではないかと思いますがよく分かりません。そしてその後これらのゲームから数多くのヴァリアントが派生しました。
 しかしこの手のトリテは基本的にミゼール系のゲームから成り立っているのでどんな手札でもやりようがあるというわけにはいきません。バルビュのヴァリアントの中には「トリックを取ろうとするゲーム」やさらには七並べ(トリテじゃないですね。ランクが真ん中あたりのカードが多い手札への救済措置です)が含まれているものもありますが、それでもミゼール系が中心になっていることに変わりはありません。しかもビッドする権利が与えられている人は1人だけに限定されていたり、さらにはビッドを一切せずに複数のゲームを決められた順番にこなしていくだけのヴァリアントもあり、何と言うか、サイコロゲームのヤッツィーに似た感じになってしまっています。つまりこの種のゲームは「プレイ可能な複数のゲームが用意されていること」が「どんな手札でもやりようがあること」に直結していないというのが実際のところです。
 このタイプのゲームでミゼール系が中心でないものとしては例えばポーランドの「ミゼルカ」などが挙げられますが、上記の問題点はそれほど改善されていないように思います。もう一つ、スイスのヤスの一種「コワフール・シーバー」も思い出されるところで、これはバルビュ等に比べると「どんな手札でもやりようがあるトリテ」へと大きく進化しているように感じられますが、それでもまだ「トリテ版ヤッツィー」という面を残しています。
 こうして見ると「複数のゲームが選択肢として与えられているトリテ」の元をたどれば「ソロ」を経て「ボストン」へとたどり着くのかもしれません。通常の切り札ゲームに加えてミゼールのビッドが認められるゲームでは複数の選択肢が与えられていると言えなくもないのですから。このようなゲームの中で最もよくできているのはおそらくスカートでしょう。スカートの中では切り札ゲーム、グラン、ミゼールが自然な形で同居しています。パーレットによればスカートが生まれたのは1810年代とのことですが、そんな昔にあれほど現代的なゲームが誕生したことに驚きを禁じ得ません。
 さて、こうしたゲームとアボットの「バラエティ」とを比べてみますとバラエティには次のような特長があることが分かります。
(1) どんな手札でもそれなりにやりようがある。
(2) なので全員ビッドしなければならない。パスはできない。
 つまりそれ以前のトリテは複数の選択肢が与えられてはいるものの「選ぶ権利があるのは1人だけ」「どの選択肢にも向かない手札が配られることが多い」という問題を抱えていたのに対し、バラエティは「全員がビッドに参加すること」を可能にしました。これは大きな進歩だったと言えるでしょう。
 とはいえまだ問題は残されています。バラエティのみならず複数のゲームを用意するトリテ全般に言えることですが、これは結局「どんな手札でも『ビッドの』やりようがあるトリテ」であって「どんな手札でも『プレイの』やりようがあるトリテ」ではありません。ビッダーが選ばれるゲームである限り、配られた手札に適したゲームがプレイできるのはビッダーに限定されます。この点で複数のゲームを用意するトリテはオンブル・スキームを引きずっていると言えます。
 この点を改良してしまった恐ろしいゲームがカール=ハインツ・シュミールの「ヴァス・シュティヒト?」で、複数のゲームを用意した上にドラフトを組み合わせることで「どんな手札でもやりようがあるよね!だって自分で選んだ手札だもん!」という離れ業をやってのけました。ただこのゲーム、発想があまりにもぶっ飛んでいるので後継のゲームが現れそうにないのが唯一の難点と言えます。

 長くなってしまったので一度ここで切ります。後編は23日に掲載する予定です。

黒宮公彦