デッキ構築型トリテ考(前編)

(この文章はTrick-taking games Advent Calendar 2017の7日目の記事として書かれたものです)

 年の瀬ですね。まもなく2018年がやって来ます。2018年というと「ドミニオン」が発売されて10周年ですね。Spiel des Jahresを獲ったのは2009年ですが、獲る前から騒がれていたゲームだったと記憶しています。騒ぎの始まりは当然エッセンですから2008年の後半だったわけですが、それでも2008年には違いなく。
 「そうなの?知らなかった。2008年っていうとボクが生まれる前だし。byドミニオンにハマッてる小学3年生」
……なんて人がいないとは限りませんが、この文章を読む人のほとんどはきっともう少し年上でしょう。お互いサバを読むのはやめて、素直に叫ぼうではありませんか。どうぞご唱和下さい。
 「あれから10年?!マジかー!オレは認めないぞー!」

 さて、10年も経とうとしているくらいですから、「デッキ構築型ゲーム」なんて用語もすっかりお馴染みとなりましたね。じゃあ「デッキ構築型トリテ」なんてもんが作れないだろうか、と考えたくなります。
 ……いや、なりませんね、ふつう。良識ある健全な市民は「デッキ構築型トリテ」なんて考えたりしないもんです。この文章につられてついうっかり「うん、考えたくなる」と内心深く頷いてしまったそこのアナタ、注意しましょう。重症化して私みたいな「すでに手遅れの残念な人」になってしまう前にまっとうな人間にお戻りになることを強くお勧め申し上げます。
 えーと、まあとにかく「デッキ構築型トリテ」ですよ。そういうの作れないもんかなあと、ふと思ったことがあるのです、私。ところが、よくよく考えてみると、あるんですね、すでに。しかもデッキ構築型ゲームの元祖であるはずのドミニオンよりもはるか以前から。
 なんてことを言うと「それ何てゲーム?」という反応に混じって「いやちょっと待て、それってホントにデッキ構築なのか?」という疑問をぶつけてくる人もいることでしょう。ですからまず、そもそも「デッキ構築型トリテ」って何なのかってところから始めたいと思います。

 トリックテイキングというシステムでドミニオンをするのは無理です、ハッキリ言って。ついでに言うとそうする必要もありません。ドミニオンみたいなゲームがしたければ素直にドミニオンしましょう。トリテはトリテがしたいときにやりましょう。ですから「デッキ構築型って呼ぶからにゃドミニオンみたいなゲームじゃなきゃダメ」という固定観念は捨てて、ここでは次のように定義したいと思います。
【「デッキ構築型トリックテイキングゲーム」とは「あるディールで、トリックを取ることによって得たカードが、次のディールで手札として使われるゲーム」のことである。】
 つまりトリテのプレイが、同時に将来の自分の手札の構築を兼ねているようなゲームのことで、これならば「デッキ構築型トリテ」と呼んでも差し支えないように思います。まあ「手札構築型」と呼んだ方がより適切かもしれませんけどね。

 さて無事に定義もできたので、次にデッキ構築型トリテがいつ生まれたのかについて見てみたいと思います。デッキ構築型トリテを発明したのは、私の知る限り、ロバート・アボット (Robert Abbott) です。
 ここでちょっと脱線してアボットについて簡単に見ておきましょう。アボットは1933年アメリカに生まれ(ちなみにまだ健在です)50年代からゲームの創作を始めました。80年代にはドイツのSpiel des Jahresにも何度かノミネートされており、当時の重要なゲームデザイナーのうちの1人と言っていいと思うのですが、彼の全盛期はおそらく60年代で、80年代にはゲームに対する情熱を(失っていたとは言わないまでも)それほど強くは持っていなかったように思われます。事実、60年代以降はゲーム以上に(なぜか)迷路の創作に熱中するようになって、ゲーム界からは次第に遠ざかっていってしまいました。
 それでもアボットが遺したものは大きかったと思います。彼は創作したトランプゲームを1冊の本にまとめ、1963年にAbbott’s New Card Gamesというタイトルで出版したのですが、この本に衝撃を受けて自らもトランプゲームの創作を始めたのが誰あろうデイヴィッド・パーレットその人なのです。アボットとパーレットがドイツ・アメリカを中心とするその後のテーブルゲーム界に与えた影響は測り知れないものがあると私は考えています。
 どんな分野でも当てはまることだと思いますが、優秀なクリエーターにも「他の人が絶対に思いつけない、とんでもなく天才的なアイディアを次々と思いつくけれども、詰めが甘い人」と「オリジナリティに乏しいけれども、他の人の思いつきを拝借して細部まできっちりと詰め、最高のレベルにまで高める人」の2種類がいるように思います。私の考えではアボットは典型的な前者タイプの人と言えます。つまり彼のゲームは発想がぶっ飛んでいて天才的なのですが、詰めが甘いところがあるのが残念です。

 少々脱線が過ぎました。話を元に戻しましょう。繰り返しになりますが1963年にアボットAbbott’s New Card Gamesという本を出版しました。この中にトリテはわずか2作品しかないのですが、この2作品によってアボットは「現代トリックテイキングの時代の到来」を高らかに告げた、もっとはっきり言えばこれによってアボットは現代トリックテイキングを創始したと言っても過言ではないと、私はそう捉えています。そしてそのうちの1つ、「メタモルフォーシス」こそが、私の知る限り、史上初のデッキ構築型トリテなのです。1963年ということはドミニオンを遡ること45年ですね。

 メタモルフォーシスは画期的なゲームではありましたが、デッキ構築型トリテには大きな問題があることも明らかにしました。それは「各プレーヤーがあるディールで取ったトリック数には違いがあるので、トリックで取ったカードを手札にして次のディールを行おうとするとプレーヤーごとに枚数の違う手札でプレイしなければならない」という問題です。これに対してメタモルフォーシスは「余った分は捨てる、足りない分は山札から引く」というかなり原始的な解決方法を採っており、よりよい解決策が課題として残されました。
 トランプゲームの創作から事実上引退したアボットに代わって登場したのが「ナインティナイン」で有名なパーレットでした。彼もまた創作したトランプゲームを一冊の本にまとめ、1977年にOriginal Card Gamesというタイトルで出版しましたが、この本で発表された「タントニー」で上記の課題に対して一つの解答を与えています。すなわち「各ディールで各プレーヤーが取れるカードの枚数に制限を設ける。その代わりトリックの勝者はカードを他者に押しつけてもよい」。この画期的なアイディアはギュンター・ブルクハルトの「Auf der Pirsch」(英語版では「トランプ・トリックス・ゲーム!」という誠にフザケたシャレたタイトルが付けられておりますが)に引き継がれています。(なおブルクハルト作で「各ディールでは決められた枚数のカードしか取れない」ゲームというと「ヴィリー(マインツ)」も思い出されますが、あれはデッキ構築型ではありません。パーレットのアイディアを借りたのは事実でしょうけれども)

 さて、これまで見たような「あるトリックでプレイされたカードをトリックの勝者が取り、それが次のディールでその人の手札となるゲーム」の他に次のようなトリテもあります。「あらかじめ場に表向きにされているカードがあり、トリックの勝者はそのトリックでプレイされたカードではなく、場の表向きのカードの中から好きなものを選んで取る。これは同一ディール内(の別のラウンド)でその人の手札となる」。こうしたゲームもデッキ構築型と呼んでいいかもしれません。
 先日ちょうどいいタイミングでmasai_kirinさん(とお呼びしてよろしいでしょうか)が「ジャーマンホイスト」をご紹介下さいましたが、このゲームがまさにこれに該当します。よくある2人式の、1トリック終えるごとに山札から手札を補充するタイプのトリテで、「デッキ構築型」と見なすのはかなり苦しいとは思いますが、このゲームの前半がもっぱら「後半戦に向けて手札を整える」ためにあることは間違いありません。もしこのゲームもデッキ構築型に含めるならばメタモルフォーシスよりもはるか以前からある例ということになります。
 これ以外ですと、TTP賞応募作の「双子ストラグル」(ごえじさん作)がこのタイプに属すると言えるでしょう。ジャーマンホイストと違ってこちらはデッキ構築型と呼んで差し支えない作品だと私は考えています。
 というわけでデッキ構築型トリテはすでにいくつか作られています。少なくとも私はそう考えます。私がTTP賞に応募した「La Ruota della Fortuna」も実は、今回述べたようなことをあれこれ考えているうちに生まれてきたゲームだったりします。これはさすがにデッキ構築型とは呼べないでしょうけどね。

 デッキ構築型トリテというともう一つ重要なシステムがあるので、そちらも見ておかなければならないんですが、それについては稿を改めたいと思います。

黒宮公彦