スカートの話

(この文章はTrick-taking games Advent Calendar 2023の11日目の記事として書かれたものです)

 今回はトランプを使ったトリックテイキングゲーム「スカート (Skat)」の話です。
 俗に「ドイツの国民ゲーム」と呼ばれるわけですが、この手の謳い文句はあまり真面目に受け取ってはいけません。まあそれでもドイツのかなり広い範囲で(と言っても決して全域ではありません)高い人気を誇るゲームであることは事実であるように思われます。
「スカート」の語源は「ディスカードする」という意味のイタリア語「スカルターレ (scartare)」もしくはその名詞形「スカルト (scarto)」だとされています。多くのトリテでは各自に手札を配った後の残りを山札とし、ビッダーが手札の一部を山札と交換する権利を得るわけですが、ビッダーが山札と同じ枚数のカードを手札から捨てる、その捨て札がイタリアではスカルトと呼ばれることがあり、スカートの語源はおそらくこれでしょう。実際ドイツでは(スカートに限らずわりと一般的に)ビッダーが交換できる山札のカードのことを「スカート」と呼ぶことがあります。(英語圏ではよく「ウィドウ」と呼ばれる、あれのことですね)
 以前にも書いたとおり、私はトリテの名前は響きがよくて無意味なものが最高だと考えており、「捨て札」なんてのは非常にいい理想的な名前だと思います。

 スカートのルールは非常にややこしいのでここで説明する気が起きません。ご存知ない方は本かネットで調べて下さい。もっとも「本を読んではみたもののさっぱり分からない」という人も多いでしょう。確かにスカートは難しいというか、慣れるのに時間が掛かるゲームだと思います。トリテ初心者にはお勧めできません。かく言う私自身も理解するには時間が掛かりました。
 例えばナポレオンなら、手札を見て「切り札がハートなら12はいけそう。13でもいけるかな。14は苦しいな」という感じでビッドをするわけですが、スカートのビッドは全然そういうものではない、ということをまず理解する必要があります。つまりスカートのビッドは「切り札がハートなら61点は取れそう。70点も取れるかな。80点は苦しいな」というものでは ま っ た く ない。スカートには「61点取れるか」「90点取れるか」「全トリック取れるか」の3つしかありません。90点取れなければ61点も89点も同じなのです。まずこの点をしっかりと理解しなければなりません。
 そして「61点は取れるだろうが90点は取れそうもない」と判断したら、切り札をダイヤにしたければ18、ハートなら20、スペードなら22、クラブなら24とビッドするわけです。とはいえ切り札をクラブにしたい時でもとりあえず18をビッドします。基本的にスカートのビッドは18から始めて20、22、23、24と競り上げていくものです。
 ふつうのトリテにあるビッドのシステムとは明らかに異なっているわけですが、なぜこんなわけのわからんシステムになっているかと言えば、それは切り札ゲーム(これがスカートの最も一般的なゲームです)、グラン(切り札は4枚だけで、通常のトリテのノートランプにかなり近い)、ヌル(1トリックも取らない)という3種類のゲームをごちゃ混ぜにしているからに他なりません。実際には切り札ゲームと言っても切り札がダイヤ、ハート、スペード、クラブで4種類ありますから、これにグランとヌルを加えて6種類というべきでしょう。これら6種類のゲームをそれぞれ数値化してビッドするためややこしいのです。その代わり切り札ゲームとグランとヌルとが自然と一つにまとめられていて、様々なゲームを楽しむことができるというのがスカートの魅力と言えます。
 要するにスカートは「何トリック(または何点)取れそうか」ではなく「どんな種類のゲームをプレイしたいか」をビッドするゲームなのです。なのでいくらややこしかろうとスカート特有のこのビッドのシステムを理解せねばゲームになりません。基本点というものがあって、ダイヤが9、ハートが10、スペードが11、クラブが12、グランが24です。またヌルについては基本点と呼べるものはなく、計算の必要がない代わり数値を覚えなければならないのですが、多くの場合「クラブの点数引く1」となっていることを知っておくと便利でしょう。そう考えれば簡単に覚え……いや、そうでもないか。まあでも繰り返しプレイしているうちに慣れますよ。とにかくこうして各種のゲームを数値化し、同じ尺度に載せてやることで種類の異なるゲームを共存させることが可能となるわけです。

 このようなわけで、スカートに少し慣れてくると「スカートってもしかして『61点取れるかどうかを競うゲーム』なのか?」と気づくようになります。それと同時に「61点も89点も同じとは、なんて大ざっぱなゲームなんだ」という感想を抱くようになります。少なくとも私は一時期そう思っていました。70点取れたら70点なりの、80点取れたら80点なりの報酬が得られるシステムの方がいいんじゃないか、と。けれどもその後「スカートで70点も80点も大して変わらないのではないか」と考えを改めました。いい手の時は本当に調子よく進むもので簡単にシュナイダーが達成できます。一生懸命やってどうにか90点にたどり着いた、というゲームはあまりない気がします。そう考えると70点と80点の違いなんて誤差に過ぎません。結局、そこそこの手と、いい手と、完璧な手と、3種類のポイントがあれば十分かな、と思うようになりました。
 逆にスカートに慣れてくるとグランの基本点に不満を感じるようになりました。グランの基本点は通常24ですが、20とするヴァリアントもあるようです。実際24は高すぎます。グランはマタドールさえあれば意外と達成できるものです。20でもまだ高いように感じます。
 また、切り札が上から連続して「n枚ある」のと「n枚ない」のとで得点が同じというのも、納得がいかないとは言わないまでも、あまり好きになれません。「切り札が上からn枚ある/ない」というのはスカートの2枚を含めて考えるものなので、ビッダーになってスカートを見たらJがあったという場合、切り札がある方向でビッドしていたら「ラッキー!」ですが、ない方向でビッドしていたら泣くことになります。例えば最高位の切り札がハートJ(つまりオーネ2)の状態でビッドして、スカートを見たらクラブJが見つかった(ミット1になる)というのはかなり悲惨な状況です(例えば切り札がスペードの場合、ビッドが22で止まっていたならむしろラッキーですが、33以上だったら泣くことになります)。これって不公平だよなと個人的には思います。

 「スカートはどんな手でもやりようがある」という話を耳にすることがあります。パーレットは著書で「スカートは切り札が1枚もない状態で勝負できる唯一のトリテだ」と主張していて、とんでもない手札を紹介しています。例えばスペード・ハート・ダイヤのそれぞれのAと10が揃っていて、クラブもJも1枚もないなら、クラブを切り札にして(いいですか、クラブですよ)勝負できる、なぜならスペード・ハート・ダイヤのAと10がすべてトリックに勝てば、それだけで63点になるから、と。ええと、オーネ10のゲームで11、これにクラブの12を掛けて132点ですか、成功すれば。……いや、運がよければ、ね。切り札が1枚もない手札で、スペード・ハート・ダイヤのAと10がすべてトリックに勝つという、その前提に相当無理がありますわな。(トリックを取ればQやKも獲得できるかもしれませんからAと10がすべて勝つ必要はないのかもしれませんが、それでも5トリックは取らないといけないでしょう)
 これよりはまだ成功しそうなものに、Jが1枚もない、オーネ4のグランなんてのもあります。成功すれば120点ですね。Jなしのグランは夢でありロマンでありますが、かなり厳しいでしょう。Aが4枚と10が2枚あればいけるかな?
 スカートは本当にどんな手でもやりようがあるのか、もう少し現実的に考えてみましょう。実際のところどんな手でもやりようがあるということはないと思います。Jが多い手は切り札ゲームでもヌルでもOKなんてことも多いですが、K・Q・9の多い手は切り札ゲームはできず、さりとてヌルも無理、というのがふつうです。また、切り札ゲームは無理(ヌルは論外)だがラムシュをすれば確実に負けそうな手というのもそう珍しくありません。
 あ、ラムシュというのは全員パスしたときに行われるオプショナルルールで、ふつうにプレイして各自が取った点数がそのままマイナス点になるというものです。スカートの正式ルールには確か採用されていなかったはずですが、広く行われているようです。
 ラムシュにはさらに、1トリックも取らない人がいたら「ユングフラウ」と言って失点(もちろんユングフラウを達成した人以外の2人の失点)を2倍にするヴァリアントがありますが、私は嫌いです。ラムシュで1トリックも取らないのならヌルを目指すべきです。もちろんヌルには一歩及ばなかったのでしょうが、それならば他の2人だって「一歩及ばない手」を抱えているのは同じです。「惜しいけど切り札ゲームは無理な手」と「惜しいけどヌルは無理な手」とは同罪だと考えるべきです。ラムシュはまあよしとして、ユングフラウはやめるべき、と私は考えます。

 何だかスカートに対する不満をタラタラと述べ立てたみたいになってしまいましたが、私はスカートは偉大なトリテだと思っています。トランプゲームの歴史を概観したとき、スカートこそがオンブルスキームの生んだ最高にして究極のゲームだと考えています(ちなみに私はブリッジはトリテの異端児だと考えています。あれをトリテと呼んでいいのかどうか未だに結論を出せていません)。だからこそ「スカートは決して完璧なゲームではない」という観点からスカートを批判してきたのだとお考え下さい。最後に改めてスカートの魅力について考えてみましょう。
 スカートは言われるほど「どんな手でもやりようがあるゲーム」ではない。それは裏返すと「どうしようもない手が配られることもあるが、わりとどんな手でもやりようがあるゲーム」だということです。実際オンブルスキームを採用したトリテの中でこれほど「どんな手でもやりようがある」と言えるゲームは他にないでしょう。
 ではなぜスカートは「どんな手でもやりようがあるゲーム」として成立しているのか。それは特殊なビッドのシステムを採用することで、切り札ゲーム、グラン、ヌルという種類の異なったゲームを共存させているからです。切り札ゲームだけなら「どのスートを選んだとしても勝ち目のない手札」というのはいくらでも存在しますが、これにヌルという選択肢を与えてやれば「やりようのある手札」の幅が拡がるわけですね。
 同時にまた、ゲーム全体として見ても切り札ゲーム、グラン、ヌルという3種類のゲームが楽しめるものになっているわけです。オプショナルルールとしてラムシュを採用すればゲームの幅はさらに拡がります。スカートには様々な要素が詰め込まれており、トリックテイキングゲームの魅力が凝縮されている観があります。
 しかしその分、緩いところのないゲームでもあります。正確な判断力と緻密なプレイが求められるゲームです。手札10枚に対してスカート2枚というのも実際にプレイすると絶妙なバランスだと感じられるのではないでしょうか。わずか2枚なのでスカートの中に求めているカードが入っていることはそうそうありません。それでも不要なカードを2枚捨てられるという点でスカートは重要な役割を果たします。とはいえこの点でも2枚というのは十分な枚数と言えず、「できることなら3枚捨てたいが、残すとなるとどれを選ぶべきか……」と悩むことになります。
 このようにスカートは非常によくできたゲームです。腕に覚えのある人、緻密なプレイが求められるトリテに興味のある人にお勧めします。

黒宮公彦