デザイナーズノートのようなもの・その6

(この文章はTrick-taking games Advent Calendar 2022の23日目の記事として書かれたものです)

 今年のこのアドベントカレンダーは例年以上にトリテ創作をテーマとしている記事が多いように感じます。こうした記事を拝見していると、トリテの作り方ってのは人によって全然違うんだなと思いまして。そこで、じゃあ自分はどう作っているのかと考えてみました。私の作り方がどなたかの参考になるのか分かりませんが、私のやり方を書いてみます。

 一番根っこの部分の話からしますと、トリテの創作とはある意味で「お前は本当にトリテが好きなのか?」と自分自身に問う作業のように感じています。トリテが好きだ。なぜ? 面白いから。ということは、もうすでに面白いトリテはあるのね? そう。じゃあなんで今さらトリテを作ろうなんて考えてるの?、と。私の経験では、この問いを突き詰めていくと答えは2つのうちのどちらかになります。
「私はトリテを心から愛しているので、創作はあきらめます。すでにあるトリテで十分満足、幸せに一生を過ごせます」
もしくは
「私はトリテなんてどうでもよくて、今までにない新しいゲームがしたいだけなので、トリテの枠組みをガンガン破壊して変なゲームを作ります。トリテ警察に『それはトリテじゃない』と言われても全然気にしません。よく考えたら私トリテに興味ないんだと思います」

 この問題は創作に係るあらゆる分野で現れるのだろうと思います。現代芸術や現代音楽のことを考えたら分かると思うのですが、今までにない新しい絵画や音楽を求めるあまり訳の分からないものになってしまっています。その結果鑑賞者からどんどん離れていってしまっていて、私など「こんなものを作って何が楽しいのだろう」と感じます。その一方で「創作とは得てしてそういうものだ。しかたないんだ」というのも理解できない話ではありません。
 で、私のトリテ創作の場合基本的には「創作はあきらめます」の立場で、「今さらオレが陳腐な下らないトリテを作らなくても、すでに面白いトリテはたくさんある」と真面目に(本当に大真面目に)考えているのですが、まあでも私にとってトリテ創作は個人的な趣味で、TTP賞でもない限り世間に発表するようなこともないし、それだったら下手くそなものを作って一人で悦に入ってればいいか、くらいに思ってます。
 というわけで、まず大前提として、私の場合「トリテを作ろう」というところからは始まりません。繰り返しになりますが、トリテのアイディアなんてすでに出尽くしていて私にできることなんて何も残されていないんですよ。まあそれでも、あるときふと、ささやかながらちょっと風変わりなアイディアが思い浮かぶこともあるので作ることもある、という程度です。
 いやしかし、それでも創作は創作に違いなくて。「お前はトリテの世界で、現代芸術や現代音楽のような奇を衒った方向に進む気なのか」と言われると……。その方向しか道は残されていない、と、もう20年もそう感じています。それは確かなのですが、しかし、奇を衒うとはある意味トリテの魅力を破壊する行為、別の言い方をすると「従来のトリテはつまらん」と宣言する行為なのでして。破壊をためらってしまうあたり、私はトリテが好きだということなのでしょう。少なくとも「トリテじゃないかもしれないけど、ゲームとしては面白いよね」というのは私の作りたいものではないのです。新奇性を出しつつも(新奇性が出せなければトリテを作る意味なんてありませんから)「トリテが好きだ!」という自分の気持ちに嘘を吐かない(つまり「トリテの本質」を破壊していない)ギリギリの線を攻めようとしているのですが、難しいですね。要するに、繰り返しになりますが、「今さら俺に出来ることなんて何も残されてない」ということなのでしょう。

 次に「テーマ」です。8日目の記事(ツイキャス)の初めの方でカズマさんが、テーマはフレーバーともいう、とおっしゃっておられたように思いますが、私はこれら2つの用語を別の意味で使うようにしています。テーマと言うと「このゲームではプレーヤーは冒険者になって洞窟を探検し、宝を集めます」といったものを連想する人が多いのかもしれませんが、私はそれは「フレーバー」と呼んでいます。ついでに言うと私はトリテにフレーバーは不要だと考えていて、したがってフレーバーからトリテを作ることは絶対にありません。その辺りも「人によって作り方が違うなぁ」と感じる点です。
 私にとってテーマとは「トリテを作ることで何を実現したいのか、その目的」、別の言い方をすると「トリックテイキングゲームの歴史において、達成されるべきであるのにまだ達成されていないシステム」のことです。私はテーマがないとトリテは作れないのでして。他方アイディアとは(私にとっては)テーマよりも小さな工夫のことで、ゲームにジレンマを与えます。私の経験から言うとトリテ創作に必要なものは (1) テーマを1つ、(2) アイディアを1つ、(3) (1) と (2) の適切な組み合わせ、の3つで、この3つが揃えばあとは微調整をするだけでトリテは作れます(逆にテーマにせよアイディアにせよ複数入れるとゲームがぼやけることが多いように思います)。もっとも (3) の組み合わせが難しいのでして、そのためには (1) のテーマも (2) のアイディアも大量にストックしておくことが望ましいです。(そう考えるとテーマもアイディアも思いつくのは難しいです。組み合わせるのも難しいですが)
 例えば「獅子と狛犬」で言うと、6人を3人対3人に分けて2チームによるチーム戦にするのは大昔からある(全トリック数を奇数にすれば必ずどちらかのチームが勝つので)わけですが、スカートなんかを考えれば分かるように3人のトリテって面白いですよね。じゃあ6人を2人ずつに分けて3チームによるチーム戦にするのはどうだ、ってのがテーマです。当然これには「勝敗をどう決めるか」という問題がもれなくついてきます(これが過去に「3チームによるトリテ」がほとんどない理由なのでしょう。それでも3チームによるチーム戦をあえてテーマにしたのは「2位問題に対する挑戦」というもっと深いテーマが根底にあるためなのですが、話が長くなるので省略)。で、「勝敗をどう決めるか」問題を解決するために「パートナーとの点数の差が得点となる」というアイディアを組み合わせる。これでもうゲームはほぼ出来上がっているわけです。あとは微調整で、例えば手札の枚数を何枚にするかなんですが、このゲームが成り立つ手札の最低枚数が1人あたり12枚であることは(私にとっては、経験上)ほぼ自明なのでして。まあそんな感じです。

 テーマを見つけるためには古典的トリテの分析が大事です。というわけで「トリテを創作したければまずは評論から」だと私は考えています。つまり、自分の好きなトリテ(なるべく古典的なものが望ましい)について
1.自分はそのトリテのどこが好きなのか。どの点が素晴らしいのか。
2.不満な点はないか。あるとしたらそれは何か。
を徹底的に考え抜くことが重要です。2はテーマを見つける作業に繋がります。また1は「今さら俺がトリテを作る必要なんてない」ということを再認識して自分に言い聞かせる作業です。私の場合これをしておかないとロクなものが作れません。
 これ、別にトリテに限った話じゃなくて、ゲーム全般に当てはまることだと思います。例えばワーカープレースメントのゲームを作りたいのなら、その前にまずはワーカープレースメントの代表的なゲームを最低でも3つ取り上げて、徹底的に分析しておく必要があると私は考えます。

 ところで。私が第2回TTP賞に応募して1次審査を通過した作品の1つに「ガットーネ」がありまして、高い評価を頂いたことは大変光栄なのですが……。なんでガットーネなんぞが1次審査を通過するんですか?! 非常に失礼なことを申しておりますことは百も二百も承知いたしております。「そんなこと言うなら最初から応募するなよ」という声が聞こえてきそうです。特に審査員の皆様に対して申し訳なく存じます。でも言わせて下さい。なんでガットーネ?! あれを作ったのはもうずいぶんと昔のことで、私にとってあれは習作と言ってもいいものです。「習作なんか応募するな」と言われると返す言葉もないのですが、まあとにかくそういうゲームです。
 20年以上も前になりますが、上にも書いたように「トリテのアイディアなんてすでに出尽くしていて、自分にできることなんて何も残されていないなー」と心の底から痛感した時代がありましてですね。古典的なトランプゲームやパーレットの作品の偉大さと完璧さを本当の意味で理解した時代なのですが。その時にそれまでに作っていたトリテを全部ボツにして、そのわりに新しいものが作れるわけでもなく、落ち込んでるというのでもないですが、それに近い状況が何年か続いたことがあります。
 その時に、原点回帰というのか、若い画家が絵の勉強をするために美術館の絵を模写するのと似たような感覚で、古典とじっくり向き合って古典風のトリテを作ってみようとした結果がガットーネです。完全な古典の模倣では意味がないので「無駄はとことん省く」という方針を決めて作ったため現代的なところもありますが。
 私のトリテ作品にはほとんどの場合テーマがあるんですが、ガットーネには珍しくそれがありません。なのでどんな作品かと言われても説明が難しいです。「無駄はとことん省きつつ古典の模倣をすることで原点回帰を目指した」というのがテーマと言えばテーマでしょうか。
 ちなみにこれ、長い間名無しのゲームでした。TTP賞応募に際して慌ててデタラメな名前を付けました。私の場合トリテを作るより名前を考える方が難しいです。(これって私だけですか?)
 イタリア語で猫は「ガット」(メス猫なら「ガッタ」)。これに指小辞 -inoを付けて「ガッティーノ」(メスなら「ガッティーナ」)。これは「小さな猫」という意味ですが、ふつうは仔猫を指します。逆に指大辞 -oneを付けたら「ガットーネ」(これはメスも同形)。つまり「大きな猫」ですが、仔猫がガッティーノなのに対して成猫はガットですからね。ガットーネって何だ? デブネコ? まあとにかく「でっかいネコ」ですな。
 ではなんでトリテの名前がガットーネになったのか、ですが。長い間名無しのトリテだったので「名前はまだ無い」からの連想で「猫」です。それ以上深い意味はありません。TTP賞に応募するために慌てて無関係で無意味な名前を付けたというのが真相です。けれども私はトリテの名前は「響きがよくて無意味なもの」が理想だと考えているので、このゲームの名前だけは気に入っています。
(念のために付け加えると、「トリテの名前は無意味なものがよい」という私の考えは「トリテにフレーバーは不要」という考えとセットになっています)

 それでは皆さん、どうぞよいクリスマス、そしてよいお年を!

黒宮公彦