本が出ました

(この文章はTrick-taking games Advent Calendar 2022の2日目の記事として書かれたものです)

 今年もくぼたやさんにお招きいただきましてこのアドベントカレンダーにいくつか記事を書かせていただくこととなりました。どうぞよろしくお願い致します。

 今年もまたモーツァルト忌の季節が巡ってまいりました。数年前にも記事にしましたが、死の直前までモーツァルトは「レクイエム」の作曲を続けていたのですが未完に終わりました。
 ではレクイエムこそが未完に終わった唯一の作品かというとそんなことはまったくなくて、モーツァルトの未完の作品はたくさんあります。もちろんそのほとんどが生前何らかの理由で放棄されてしまった作品で、ミサ曲ハ短調K.427なんかが特に有名です。完成した曲を聴いているうちはまだしも、未完成の曲(「断片」と呼ばれるものも含む)まで片っ端から聴くようになるとモーツァルト病もかなり進行しているということになるわけですが、実際聴いてみると傑作が多いのですよ。「なんでこの名曲を途中で放棄したんだ?」と嘆きたくなることしきりです。なので私はわりと平気で、むしろ好んでモーツァルト(に限りませんが)の未完成の曲を聴くのでして、おそらくそうしたことが裏事情として潜んでいるのだと思われます。裏事情って、何の裏? 古い時代の文献からトランプゲームの記述の断片を漁ってきて繋ぎ合わせて復元してしまうという、そういう訳の分からない行動の裏、です。

 てなわけで。昨年のアドベントカレンダーの記事を「本が出ます」で終えたのですから、今年は「本が出ました」で始めることにしましょう。『トランプゲームの源流 第1巻 トリックテイキングゲーム発達史』、無事出版されました。
 古いトランプゲームの復元を試みるという、誠にマニアック、かつ、ある意味荒唐無稽な内容の本であるにも関わらず、お陰様で……、いや実はよく知らないんですが、わりと売れているようですね。そのうちニューゲームズオーダーさんから正式な連絡を頂けるはずなので、そこで何部売れたか分かるのですが、とりあえず赤字にはならなかったようなので良かったです。皆さんのお陰です。ありがとうございます。
 反響は……、こちらもよく分からないんですが、まあ「涙が止まりません」だの「生きる勇気をもらいました」だのといった類いの本ではございませんので、多くの読者は読み終えたら「ふーん」とつぶやいて本棚にしまう、ということなのでしょう。「金返せ」というメールを受け取っていないだけ良しとしましょう。

 まあしかし。『クク大全』が出版されたときにはホッとしました。今でもよく覚えています、出版されて真っ先に思ったことは「これでパソコンがクラッシュしても大丈夫!」でした。
 それに比べて今回。全っ然落ち着かん!
 理由は明らかですね。何を血迷ったか「第1巻」と銘打ってしまったせいで、第1巻が出版された喜びよりも第2巻を書かなきゃならんプレッシャーの方がはるかにキツイわけですわ。
 でもねぇ……、あんな訳の分からない本がわりと売れているようなのですよね。となると書かにゃならんのでしょうな……。昨年のアドベントカレンダーでは「書くかどうか分からない」と言いましたけど、やはりここは一つ「書きます」と宣言すべきなのでしょうね。ちなみにその直後に「よう知らんけど」と言い足すのが関西風であります。

 「書くネタはあるのか?」と思う人もいるかもしれませんが、書かなきゃいけないことはいくらでもあります。だってほら、「ルールおよびそのシステムを軸とした」トランプの歴史、と銘打ちながら、第1巻で扱ったのは切り札とビッドだけですよ。むしろここからが本番で、正直言って第2巻ですべてを書き切れるとは到底思えません。第2巻を書くとして、問題は第3巻も書くのか、それとも第2巻までで書けることを書いて残りはうっちゃらかして逃げるのか、です。いやあ、第3巻なんて出るとしても何年後になることやら……。今考えてもしょうがないくらい先の話ですね。
 「いや、そんなこと言われても、一体何を書くつもりなの?」とお思いでしょうが。昔ククについて調べていたことがあってですね、資料には当然クク以外のトランプゲームのことも書かれているわけですよ。そういう資料を目にするうちに「一度こうしたゲームともじっくり向き合わないといけないな」と思った、ということが背景にあるのでして。『クク大全』を書き終えて、改めて古い資料に出てくるゲーム群に向き合ってみると、何だかよく分からないゲームが思っていた以上にたくさんあることに気づきました。というわけで書かなきゃいけないことはホントにいくらでもあります。
 もう少し具体的な話をしましょう。『クク大全』という訳の分からない本をついうっかり間違ってご購入下さった方はp.255をご覧下さい。そこに、フランソワ・ラブレーの『ガルガンチュワ物語』に登場するmaucontent、malheureux、malheureuse、cocu、fourby、belinéがすべてククかもしれない、って話が出てきますわね。で、この辺の調査をしていたときに思ったのですよ。ひょっとして『ガルガンチュワ物語』のトランプゲーム、すべて解き明かすことも不可能ではない……?
 『ガルガンチュワ物語』のリストに挙げられているゲームは200を超えますし、名前が列挙されているだけでジャンル分けもされていないのでどれがトランプゲームでどれが屋外遊戯かすら分かりません。それでもあのリストの中にあるトランプゲームは30と40の間なんてことも言われます。そしてそのうち6つがクク(かもしれない)ってのなら、残りはわずかなのでは? 大まかにどんなゲームだったのか、くらいなら分かるのでは?!
*くれぐれも言っておきます。上記6つのゲームのうちmaucontent以外はあくまでもククだった「かもしれない」という程度のものに過ぎません。
 ってなわけです。どうです、どんなゲームだったか解き明かせるかどうかはともかくとして、ネタには困らないでしょ?(いや解き明かせなきゃ書く意味ないんですが)

 この気宇壮大な目標の前に、残念ながら大きな壁が2つ立ちはだかっています。
 1つは昨今の円安です。お陰でヨーロッパの文献が目玉が飛び出るほど高くなってしまっておりまして、当分は手元にある文献だけで進められるところまで進めるという方針にせざるを得ません。
 もう1つは、実は私、運の要素が強いゲームが嫌いでして。ククはあくまでも例外なのです。ククと言えば、『クク大全』のときも「クヴィットリ」やら「ヒュップ」やらのルールを書くのがもう、苦痛で苦痛でしかたなかったですよ。「これが本邦初のルール紹介になるんだから」と自分を鼓舞しながらどうにか書きましたけど、クヴィットリなんて要するにブラックジャックですぜ? あんなもん喜んでやる連中の気が知(以下自粛)
 トランプゲームの歴史を源流へと遡っていくと否応なくギャンブルゲームと向き合うことになるんですが、名前は違っててもルールはほぼ同じギャンブルゲームの山にぶち当たったりして、なんでオレがコイツらの細かな違いなんぞ解説せにゃならんのだ、こんなもん全部同(以下自粛)
 というわけで『トランプゲームの源流』、もし第2巻を書くとするならギャンブルゲームを中心に扱うことになるでしょうが(あーヤダヤダ)、第1巻で割愛したトリテもいくつか取り上げることになると思います。くれぐれも第1巻だけ読んでトリテの歴史について分かったつもりになってはいけませんよ。はっきり言って第1巻に書いたことは氷山の一角です。

 それはさておき、古い時代のトランプゲームなんてそんな簡単に復元できるものなの? と思う方もいらっしゃるかもしれないので、一言。「だから私の妄想だって言ってるでしょーが」。妄想だから何やってもいいんですよ。
 クラシック音楽の未完成曲の復元の中にはかなりムチャをしているものもありますからね。未完成と言えばシューベルトの『未完成交響曲』ですが、シューベルトは第2楽章まで完成させ、第3楽章はわずかに書かれていて、第4楽章は1音符も書かれておりません。ところが「『ロザムンデ』の間奏曲、あれはきっと本来はあの交響曲の第4楽章として書かれたものだったに違いない」……って、それホントか、信用していいのか、と思うんですが、『未完成交響曲』完成版では第4楽章に『ロザムンデ』の間奏曲を使うのが定番となっております。(『ロザムンデ』もシューベルトが作った曲ではあります。念のため)
 ですからこの手の復元は「補筆者としてはそれなりの根拠を示すことはできるのだけれども、最終的に信じるかどうかは聴き手の自己責任でお願いします」っていう暗黙の了解の上で成り立っているわけです。なので聴く側としても音楽として聴いて楽しめるかどうかで評価するのでして「これはモーツァルト(でもシューベルトでも誰でもいいのですが)が書いた曲だ!」なんて思ったりはしません。そんな錯誤とはハナッから無縁です。「あーいかにもモーツァルトが書きそう」あるいは「いやモーツァルトはそうは書かんじゃろ」という感想が出たりはしますけれども。
(なんか書いてて、未完成の曲を好んで聴くってのはマジで病的な行為なのではあるまいかと今さらのように実感が湧いて悲しくなってきたので、えー、そのー、「どうぞお大事に」とか声を掛けてそっとしておいてやって下さい)
 というわけなので、トランプゲームの復元もそういうものだと受け止めて下さい。

 昨今はずいぶんと人工知能が発達してきて、将棋はおろか囲碁でさえAIが人間を凌駕してしまっています。その上AIが小説を書いたり絵を描いたりするようになってきました。しかもかなり精度が上がってきたと言うのか、人間顔負けのものが生み出されるようになってきているようです。そうなってきますとモーツァルトの未完成作品の補筆もぜひAIにさせてみたいところではあります。私が知らないだけでおそらくすでに試みられていると思いますけどね。モーツァルト作品の復元にコンピュータを使うってのは実は1970年代にすでに行われていたことですし。
(とりあえず「ヴァイオリンとピアノのための協奏交響曲K.315f」だけは完成させてくれ。頼むから。いやまあウィルビー補筆版も悪くないんだけども。ついでに言うと夏目漱石の『明暗』も完成させられないものか。水村美苗版は私はまったく感心しない)
 となると。トリテを含めた、17世紀前半以前のトランプゲームもAIに復元させればいい、という話になりゃしませんか。正直なところ『トランプゲームの源流・第2巻』なんてオレが書かなくったってAIにやらせりゃいいじゃん、って気がしなくもありません。(真面目な話をすると入力データがわずかなのでAIを使ってもどうしようもないだろうとは思いますけど)

 最後に。私の名誉のために言っておきますが、私、完成してる曲だって聴きますからね?!

黒宮公彦