デザイナーズノートのようなもの・その4

(この文章はTrick-taking games Advent Calendar 2020の24日目の記事として書かれたものです)

 今年書いた記事を読み返してみたのですが、我ながら「嫌い」だの「好きでない」だのと何だかネガティヴな言葉をたくさん使ってますね。いかんなぁ……。今年は世界的に鬱々とした1年になってしまったわけですが、私も無意識のうちに影響を受けているのかもしれません。自覚はないんですけどね。
 今日はクリスマスイブなのですから、もうちょっと明るく行きたいものです。

 実を言いますと、第2回TTP賞の応募に際して「自分で納得のいく出来映えのメイフォローのゲームを最低1つは作って応募する」という目標を自分に課しました(これ以外にも2つ目標を立てたのですが、こちらは達成できませんでした)。これまでメイフォローのゲームを作るのは苦手だったのですが、それは私が「そもそもメイフォローとは何か」を理解していなかったからです。今回改めてメイフォローとじっくり向き合ってみて、ようやくメイフォローとは何かが分かりかけてきたような気がします。
 メイフォローと言うと私の場合まずシクスティシクスが頭に浮かびます。けれどもあのゲームは(私の理解では)1トリック毎に山札から手札を補充するタイプのゲームなのでマストフォローのルールを適用するわけにいかず、やむを得ずメイフォローにしているだけのゲームのように思います。別の言い方をすると「メイフォローの魅力が味わえるゲーム」というようなものではないように思います(私がよく分かっていないだけでしょうけれど)。
 メイフォローと聞いて次に思い浮かぶのはシュティヒェルンです。「台札をフォローできなかったカードはすべて切り札になる」というルールとメイフォロー、それに基本的にミゼールという得点が見事に噛み合って、メイフォローのお手本のようなゲームとなっています。しかし、だからと言ってシュティヒェルンを本当にメイフォローのゲーム創作の手本とするわけにはいきません。繰り返しになりますがシュティヒェルンは (1) メイフォローと、(2) ミゼールと、(3) すべて切り札という3つのルールが合わさって成立しているのであって、どれか1つが欠けても面白さが失われてしまいます。だからと言って3つとも採用したらそれはシュティヒェルンのパクリになってしまって、新たなゲームの創作とはなりません。

 困りましたね。こうなると自分自身の目でメイフォローを観察して「メイフォローとは何であるか」を探り出す以外に手はありません。私なりに改めてじっくりと向き合ってみてメイフォローとは何だと理解したか、少しお話しさせていただきます。
 マストフォローのゲームでは出せるカードに縛りがありますが、メイフォローにはそのような縛りがないので好きなときに好きなカードを出すことができます。その結果どうなるか。「このトリック取りたい」と思ったらわりと簡単に取れてしまう、ということです。同時にまた最後にカードを出す人が圧倒的に有利になります。取りたいトリックで、すでに場に出されているカードよりも強いものが手札にあるなら出せばいいし、なければ、あるいはそのトリックを取りたくなければ弱いカードを出すだけのことです。マストフォローのゲームの場合、台札を出す人にも最後にカードを出す人にもそれぞれにそれなりのメリットがありますが、メイフォローだとこのバランスが崩れるように思います。もっともトリックを取ると次のトリックで最初にカードを出さなければならなくなるので、そこでバランスが取れていると言えなくもないですけれども。
 そうなるとメイフォローで「とにかくたくさんトリックを取ればいいゲーム」にしてしまっては機械的にカードを出していくだけの、何のひねりもないつまらないゲームになってしまいます。別の言い方をするとメイフォローではプレーヤーに「このトリック、取るべきか取らざるべきか」というジレンマを与えるゲームが良いゲームだということになります。これはマストフォローにも当てはまることなのですが、メイフォローは自由度がより高いため、この点がいっそう重要になると言えるでしょう。
 では「トリックを取りたいと思ったらわりと簡単に取れてしまう」状況で「このトリック、取るべきか取らざるべきか」とプレーヤーを悩ませるルールとはどういうものか。メイフォローについてあれやこれやと思いを巡らせて、私は次のようなことを考えました。

1.メイフォローには「様々なスートのカードが取りやすい」という特徴がある
 マストフォローのゲームでトリックを取るとカードはすべて同じスートということが多いですが、メイフォローだとそうはなりません。その上フォローの縛りがないのでいつでも好きなときに切り札が出せるのですから、様々なスートのカードが取りやすくなります。
 この考えに基づいて作ったのが……って、すみません、第2回TTP賞の応募に向けて作ったものはありません。「メイフォローでは様々なスートのカードが取りやすい。ならばセットコレクションと組み合わせてはどうか?」というのはずいぶんと以前から考えていたことで、昔作ったものを今回引っ張り出してきて応募しただけです。
 第1回TTP賞に応募した「ミット・ハイセム・シュティッヒ (Mit heißem Stich)」という、これまたメイフォローのゲームがありますが、そのルールに添えた「こぼれ話」で次のように書きました。
 「それにしても、メイフォローのゲームを作るのはどうも苦手です。一度やろうとして空中分解したことがあります。」
 その「一度空中分解したゲーム」は実はその後、無理やり取り繕ってどうにかこうにかまとめて、それでも「うーん、イマイチ」と感じて放置していました。第2回TTP賞の話が出てそれを思い出し、久しぶりに引っ張り出してきて応募候補にしておいたらいつの間にか応募してしまっておりました。それが「Ruff Play」です。

2.他のプレーヤーが「なぜそのカードを、このタイミングでプレイしたのか」を推理するゲーム、というのはどうか?
 マストフォローのゲームでは「あの人はなぜあのカードをこのタイミングでプレイしたのか」の答えが「俺だって出したかねーよ。マストフォローの縛りがあるんだからしょうがねえだろ!」だったりすることがよくあります。ところがメイフォローではこの縛りがないわけですからどのタイミングで何を出しても構わないわけです。それは逆に言うと「あの人がこのタイミングであえてあのカードをプレイした意図」がある(かもしれない)ということであり、その意図を読み解くのはきっとメイフォローの醍醐味の一つに違いありません。
 この考えに基づいて創作したのが「たぬき」と、「2人用たぬき」とも言うべき「How’s Tricks?」です。実は「たぬき」の4人用ルールも作りたかったのですが、4人目の果たす役割が思いつかなくて断念しました。ぼんやりと考えていることはあるので、そのうち追加したいと思います。(でも発表の場がありませんね(苦笑))
 ちなみに「たぬき」のルールが3ディール毎にメイフォローとマストフォローを交互に行うようになっているのは、メイフォローだと切り札がすぐに明らかになって面白くないからです。ただ全体としてはメイフォローのディールの方がマストフォローよりも面白いと思います。メイフォローのディールでは切り札を選ぶ人があまり楽しくない(笑)というだけのことです。ゲーム全体として見れば9ディールすべてメイフォローとした方が楽しめるかもしれません。

3.メイフォローだが、フォローするに越したことはないゲーム、というのはどうか?
 通常メイフォローとは「手札から何を出してもいいゲーム」であるわけですが、そこをあえて一ひねりして「手札から何を出してもいいけど、でも本当は台札をフォローした方が安全なんだよ」というゲームにしたらどうか、というアイディアです。この場合もちろん「フォローしても地獄、しなくても地獄」というジレンマを生み出すルールにしなければ意味がありません。
 この考えに基づいて創作したのが「At Your Own Risk」です。よっぽど「自己責任」という名前にしようかとも思ったのですが「自己責任は面白い!」「自己責任好き!」なんて会話は想像したくないよなぁと思いまして、結局「At Your Own Risk」にしました。
(ちなみに、実はシュティヒェルンもある程度はこの考えに基づいているゲームだと後から気づきました)

 ……とりあえずこんなところでしょうか。繰り返しになりますがメイフォローとは「手札から何を出してもいいゲーム」であるので、それの何に面白さを見出すのかと言われると返答に窮するものがあります。そこをあえてない知恵を絞って考えてみたのですが、残念ながら上記のものしか思いつきませんでした。おそらくメイフォローにはまだ隠れた魅力があるのだろうと想像します。もっとも私は「たぬき」、「How’s Tricks?」、「At Your Own Risk」を作ってかなり満足してしまっておりまして、正直に言うとこれ以上メイフォローのゲームを作りたいという気持ちはあまりありません。さらに白状すると今回の創作を通じて「やっぱりメイフォローって私がトリックテイキングに求めているものと少し違う」と再認識したというのが正直なところです。

 ところで、どうしても書かずにはおれないので以下とりとめのない、しかも上記と無関係の話をさせていただきます。私は去年のアドベントカレンダーの記事に次のように書きました。
 「毎年書いている気がしますが、早いもので今年ももうすぐ終わります。ホント早いもんです。この調子だと半年ほど後にはオリンピックを観ながら『平成は遠くなりにけり』とつぶやいていそうです。すげーリアルに想像できて悲しくなります。」
 2011年もそうでしたが、今年も「来年のことを言うと鬼が笑う」という諺が骨身に染みた年でした。自分の書いた去年の文章が異世界のもののように感じます。
 「パンデミック」というボードゲームがあります。あのゲームの「最終目標はワクチンの完成」「ワクチンが完成するまでいかに時間を稼ぐかが勝負」というのは本当のことなんだなと心底実感した年でもありました。それで思い出しましたが、アメリカのGrey Gnome Gamesが出した「PLAGUE(疫病)」というトリテもありましたね。正直言ってノットフォーミーなのですが、トリテのアドベントカレンダーですので触れておきます。
 新型コロナウィルスはイギリスでも猛威を振るったようですが、御年81でいらっしゃる神様パーレット様はお元気であらせられるようで喜ばしい限りです。「今年はどんな年だったか、1単語で表現すると?」の問いに “Forgetworthy” と答えたとか。trustworthy(信頼に値する、頼りになる)という英単語はありますがforgetworthy(忘れるに値する)なんて単語はもちろんありません。しかし言い得て妙だと感じさせるあたり見事な造語だと思います。私はパーレットの創作の才能が真に発揮されているのはトランプゲームだと考えていますが、本当は言葉遊びこそが彼の本領なのかもしれません。いかにもイギリス人らしい皮肉を込めたウィットの感覚と相俟って─“forgetworthy” についてはペーソス混じりのユーモアで、深い悲しみや諦念さえも透けて見える気がしますが─読む者に独特な感覚を与えるパーレットのこうした言葉遊びめかした発言には感心させられます。何よりパーレットの頭脳がいまだ健在であることを確認できるのは信者にとって嬉しいことです。
 それはさておき、来年こそ明るい年になってほしいものです。皆さんがよいクリスマス、そしてよいお年を迎えられますよう、末筆ながら心よりお祈り申し上げます。

黒宮公彦