デザイナーズノートのようなもの・その1

(この文章はTrick-taking games Advent Calendar 2020の3日目の記事として書かれたものです)

 今年もくぼたやさんにお招きいただきましてこのアドベントカレンダーにいくつか記事を書かせていただくこととなりました。どうぞよろしくお願い致します。
 ぶっちゃけた話、今年は書くネタには困らんよな、なんせ第2回TTP賞応募作品のデザイナーズノートを書いときゃいいんだからな、と、わりと気軽に依頼を受けてしまいました(実は作った当時の記憶があやふやなほど昔に作ったものも多数含まれているのですが)。実のところ結果がまだ発表されていないのにデザイナーズノートなんか書いていいのか、とももちろん思うのですが、48作も送りつけてしまった手前その言い訳をしないわけにもいかないだろうと思い、ちょっとその辺について書かせて頂きます。

 第1回TTP賞では審査員の皆さんは審査のために応募作をすべてプレイしたとのことでしたが、第2回では一次審査として書類選考を行うと告知されました。だったら少々多めに送りつけても大丈夫なのではあるまいか。ならばこの際、過去の作品、つまりこの約30年の間に作り続けてきたものを集められるだけ集めて、改めて見直してみよう、とまあそんなことを思い立ってしまったのですよ。ずいぶん前に作ったまま行方不明になっていた(といってもパソコンのどこかには保存されているはずなのですが)作品やらアイディアのメモやらも探して引っぱり出してきてみたりしました。
 改めて見てみると第1回TTP賞の際に「あまりにヒネリがない」と感じて応募を見合わせた作品がたくさん見つかりました。ところが私自身は「ヒネリが足りない」と感じていた「獅子と狛犬」が第1回TTP賞で高い評価を頂いたことを考えると、実はこうした作品も案外評価されるのかもしれないと思い直し、とりあえず応募の候補にしてみることにしました。具体的には……って、まだ結果が発表されていない状態ですので具体的な名前を挙げるのは止めておきますが、とにかくずいぶんと昔に作った作品群です。白状すると「五行相克」や「獅子と狛犬」の元になった、どちらかと言うと「作品」よりは「習作」に近いものまで含めてしまいました。「今さら習作を出すのか?」というためらいはあったのですが、まあとりあえず候補として残しておこう、ボツにするのは後からでもできる、くらいに考えていました。
 一昨年のアドベントカレンダーに書いた「現代トリックテイキングへの道」という記事とも関連することですが、今思えば第1回TTP賞当時の私は「現代トリテはビッド(オークション形式のもの)と決別せねばならんのだ」という考えに凝り固まっていました。この理由からボツにした作品も多数あったのですが、これらも改めて見直しているうちに「ビッドを採用すると『どんな手札でもやりようがあるトリテ』とはならず『オンブルスキーム』に逆戻りしてしまう」「でも従来のビッドのあり方を見直し『新しいビッドの方法』を模索することは現代トリテにとって大切なことかもしれない」「それに平凡なビッドのトリテなんて作ったことはほとんどないはずだ」「ゲームとしてもこれはこれで悪くないかもしれない」と考えが変わっていきました。そこでビッドのあるゲームも応募の候補とすることにしました。こちらも具体名を挙げるのは控えますが、結構な数に上ります。
 こうした取捨選択の作業の結果、「とりあえず応募の候補にしておくか」という作品が48に上ってしまい「これはヤバイ」と思いました。いくら1次審査は書類選考だと言っても、48はさすがに、ねえ? やむを得ず昨年の11月の末頃ひげくまごろうさんにメールを送りました。「今手元に48作あります。さすがに全部送るわけにはいかないでしょうから応募数の上限をお知らせ下さい」と。すると「すべて送ってください」と返事が来たので「いいのか?」と思いつつも腹をくくって48作すべて送ることにしました。かくして「出そうかボツにしようか、まあ今はとりあえず候補として残しておくか」という応募候補がすべて応募されることになってしまいました。(具体名はあえて伏せますが、今改めて考えても「○○」やら「××」やらは「創作しました」なんてともて言えるようなレベルじゃないよなぁと正直なところ思います)
 加えてテストプレイに付き合わせていた息子までトリテ創作に興味を持ってしまったようで、自分も応募すると言い出しました。となると合計49作。いくら書類選考と言っても時間が掛かりますから、すぐに選考に入っていただけるよう、応募の受付が始まったその日に息子の分も合わせた49作をひげくまごろうさんに送らせていただいた次第です。

 48作も送りつけたのにはもう一つ理由があります。人間誰しも似たようなことを考えるもので、似たような作品が独立して作られることがあります。私も自分の思いつきがすでにパーレット作品の中で使われていることに気づく、という経験をこれまで何度もしてきました(パーレット作品に限りませんが)。
 実はしばらく前にS. Andoさんという方の「ザ・トリテ」という協力型トリテを知って深い感銘を受け、協力型のトリテをいくつか作ってみました。そのうちの1つが今回応募した「ゲナウ」ですが、これは「ザ・トリテ」と「Hanabi」をくっつけてみよう、という発想に基づくものです。ところが今回のTTP賞が開催される直前に「Die Crew」ってのが発売されて話題となり、しかも話を聞くとどうやら「ゲナウ」と似たような発想で作られたものらしいと判明しました。「ゲナウ」を「ザ・トリテとHanabiのパクリ」と言われたら「はいそうです」と素直に認めるのですが、もし「Die Crewのパクリ」と言われることがあったとしたらそれは嫌だなぁと思いまして。まあ実際にはかなり違ったゲームだと後で判明しましたけれども。(しかも黒ポーンを獲ったと思ったらいつの間にやら3冠ですか。3冠ってもしかして「世界の七不思議」以来でしょうか?)
 この手のものは早い者勝ちなので、面白い面白くないとは別の問題として、発表の機会があるうちに公表しないと「パクリ」と言われちゃうんだなぁ、とこのごろ特に強く感じております。そこでせっかくの発表の機会なのだから48作全部出してしまおうと思ったのでした。ところがところが……。

 応募が締め切られてしばらく経った2月の初めに、練馬おやこボードゲームの会の木村有理さんからご著書を頂戴いたしました。『おうちでトランプ2』という本で、私が第1回TTP賞に応募した「65」を収録して頂いたのでお贈り下さったというわけです。ちなみにこれは大変に素晴らしい本ですので、まだお持ちでない方はぜひお買い求めになるとよろしいかと存じます。
 さて、届いたこの本をパラパラと眺めておりますと「ノーティス」というゲームが目に入りました。これがもう、私が今回応募した「Secretary」と同じゲームで、心臓が止まりそうになりました。思わずゲッ!と叫んだような気がします。「他人の手札を見て、取れるトリック数を予想する」もしくは「配られた手札を見て、無責任にビッドして、他人に押しつける」という発想のゲームで、この発想から出発すれば誰が作っても似たようなゲームになるのかもしれませんが、それにしてもこりゃ「パクリ」と言われるのは免れないよなあ、というくらい似ています。
 私の場合「Secretary」の発想の元となっているのは第1回TTP賞に応募された「Let me off」(キノさん作)という作品で、手札の一部を隣の人と共有しているというぶっ飛んだ発想のトリテです。そこから「他人の手札が見えているトリテ」ということを考えているうちに「Secretary」になりました。まさか同じことを考えた人がいたとは。
 で、その「同じことを考えた人」、すなわち「ノーティス」の作者はというと、スゲさんとおっしゃる方のアイディアに基づいて草場さんが手を加えてできたゲームとのことで、となると「手札を見てビッドして、他人に渡す」という部分はきっとスゲさんがご考案なさったのでしょうね。

 動揺しながら、木村さんから頂戴した2冊目を拝見します。実は『おうちでトランプ別冊 マストフォロー練習トランプを楽しもう!』という本も頂戴したのです。そして気づきました。スゲさんって「ミスト」の作者の方だったのですね!
 マストフォロー練習トランプが話題になり始めた頃、実は私もまったく同じことを考えました。「あーこれを使えばカードの表側を一切見なくても背を見るだでもフォローだけはできるんだなー」と。そしてこのアイディアを思いついた0.1秒後に「ゲームにならんわ、んなもん!」とバッサリと切り捨てました。私はたいていのアイディアはメモすることにしているのですが、その時はメモすらしませんでした。私が即座に切り捨てたアイディアをゲームにした人がいる! 第1回TTP賞に応募された「ミスト」のルールを見たときには腰を抜かしたものです。
 第1回TTP賞の応募作品のルールが公開された頃ですから2017年の3月頃でしたかね、「ミスト」のルールを読んで衝撃を受けた後しばらくしてからのことです。ふとした瞬間に「あれっ?!」と気づきまして。「何か昔、『表側を見なくてもフォローできればいいのに』って思ったことがあるぞ。何だったっけ?」。しばらく考えてハタと膝を打ちました。ずいぶんと昔に松田道弘氏の著書で見た「ひとりブリッジ」を試した、その時の感想です。
 「うーん、こりゃゲームになってないよなあ。向こうはランダムにカードを出してくるだけだから台札が圧倒的に強いよな。最低限こちらの出す台札を向こうがフォローしないことにはゲームにはならんわな。だからと言って相手の手札を見るわけにもいかないし」
 そうなのです、マストフォロー練習トランプを使えば相手が台札をフォローする「ひとりブリッジ」が可能なのです。そんな単純なことになぜ今まで気づかなかったのか。自分のうかつさに呆れるとともに、「マストフォロー練習トランプを使えばカードの背を見るだけでフォローはできる」という発想を一瞬で切り捨てた己の愚かさを恥じました。こうして生まれたのが今回応募した「一橋」です。スゲさんの「ミスト」のおかげで生まれたゲームと言っていいでしょう。
 ところが実際に「一橋」をプレイしてみると成功率は1割強といったところでしょうか。「ひとりブリッジ」はたいてい成功しますが、それが嘘のようです。相手が台札をフォローするかどうかは予想以上に大きいことを痛感しました。トランプのひとり遊びは成功率が低いものが多いので成功率1割強というのが低いとは思わないのですが、もうちょっと実力が発揮できてトリテを楽しんでいる気分になれるゲームにしたいと考えました。そこで思い切って変更を加えて生まれたのが「御三卿」です。
 ちなみにその後しばらくマストフォロー練習トランプを使ったトリテを作ることに熱中しました。当時すでに、マストフォロー練習トランプを使ってシクスティシクスをすれば最初からマストフォローが適用できることや、第1回TTP賞に応募した「ファルプヴェクセル」の「切り札の山」も裏向きのまま使えることには気づいていました。そこでこれらのアイディアを具体化して細部を詰めたところ、「イチロク」「ファルプエヒト」なんてのができました。この2つは練馬おやこボードゲームの会さんのウェブサイトに掲載して頂き、前述の『おうちでトランプ別冊 マストフォロー練習トランプを楽しもう!』にも収録して頂きました。
 さて、今回のTTP賞の応募作品に「御三卿」を含めるのはいいとして「一橋」はどうしようかと悩みました。マストフォロー練習トランプを使った「ひとりブリッジ」というだけのものなので、私の考案した作品とはとても言えません。とはいえ「御三卿」の発想の原点は「一橋」、そして「一橋」の原点は「ひとりブリッジ」にあるので、その辺は明記しておきたいとも思いました。同時にまた「ひとりブリッジ」「一橋」「御三卿」の順に並べると名前の由来は明らかですが(そうでもないですか?)いきなり「御三卿」という名前を出しても何のことだか分かりません。そうした点を考えて「一橋」と「御三卿」は一まとめにして応募させて頂きました。
 実を言うとその後「御三卿」を元に「一橋」をもう一度改良してみました。私に言わせればブリッジで最も重要なのはビッドであり、ブリッジのソロプレイなんてビッドがないんだから考えるだけ無駄、1人でブリッジしたけりゃコンピュータ相手にやれ、という考えを持っているので、当初は「一橋」を改良しようなんて思っていなかったのです。ところがあるとき「一橋」には「御三卿」にはない特有の面白さがあるのではないか、と思い直しまして。具体的に言うと「このトリック、自分が取るかダミーに取らせるか」という点が「御三卿」にはない「一橋」特有の悩ましさで、決して大きな違いではないんですが捨てがたい魅力ではある、と考えるようになりました。同時にまた多少はブリッジのプレイの練習になるかもしれません。このようなわけで「一橋」の改良版を作ってみました。機会があればまた発表したいと思います。

黒宮公彦