本が出ました・3

(この文章はTrick-taking games Advent Calendar 2022の16日目の記事として書かれたものです)

 この一年を振り返ってみると、松田道弘氏の訃報に接して受けたショックをいまだに引きずっていることに気づく。氏の逝去が世間に知られるようになったのは今年のことだが、実際には昨年亡くなられていたとのことで、これもまた私にはショックだった。
 私が本格的にトランプゲーム(とりわけトリックテイキング)にのめり込むきっかけとなったのは大学2年のときに松田氏の『面白いトランプ・ゲーム』(ちくま文庫、1990年)と出会ったことで、氏に対しては尊敬と言うか敬愛と言うか、何とも言えない感情を抱いている。同時に『面白いトランプ・ゲーム』のような本を私もいつか書いてみたいという気持ちもある。
 『トランプゲームの源流』の参考文献に挙げようか挙げまいかとさんざん迷って結局記載しなかった本が2冊ある。1冊は松田道弘『トランプものがたり』(岩波新書、1979年)、もう1冊は阿部徳蔵『とらんぷ』(第一書房、1938年)である。松田氏の訃報に接して、やはり載せておくべきだったかと思い直し、後悔することしきりである。参考文献一覧とは、著者の知識と理解を形作るための礎を与えてくれた先人たちへの敬意と感謝を表明する場でもあると私は思うからだ。

 ところで今年、阿部徳蔵の『とらんぷ』の新装版が出版されて驚いた。これが今回のタイトルを「本が出ました・3」とした理由である。

阿部徳蔵(著)、和泉圭佑(改訂)『新装版 とらんぷ──トランプ史・タロット・妖術の開示』、株式会社プレイフェア.

 阿部徳蔵の『とらんぷ』(もちろん1938年出版のオリジナルの方)を読んだときは驚いた。特に1938年の時点ですでにミンキアーテを紹介していたことに衝撃を受けた。しかしその後サミュエル・ウェラー・シンガー(Samuel Weller Singer)というイギリス人が1816年に書いたResearches into the History of Playing Cardsという本を知り、これが『とらんぷ』の元ネタだと気づいた。新装版の『とらんぷ』でも改訂者の和泉圭佑氏が同様の指摘をなさっておられる(p.298)。ミンキアーテもシンガーのこの本に出てくる。阿部徳蔵がシンガーのこの本を読んだのか、それともシンガーを引用した本を孫引きの形で読んだのかは知らないが、『とらんぷ』に書かれている多くの事柄がシンガーの本でも述べられている。
 念のために言うが阿部徳蔵の『とらんぷ』は間違いなく名著である。戦前のあの時代によくもまああれだけのことを調べられたものだと驚嘆する。しかしシンガーのResearches into the History of Playing Cardsは今から200年以上も前の本で内容が古すぎる。それはつまり、この本に基づいて書かれた『とらんぷ』も内容が古いということだ。そして松田道弘の『トランプものがたり』もトランプの起源に関しては『とらんぷ』に負うところが大きい。率直に言うと、これらの著作を通じて私は、トランプの歴史に関して日本の文献がまるで当てにならないことを反面教師的に学んだ。(私見では、トランプ史に対する松田氏の貢献は『トランプものがたり』よりもむしろ『面白いトランプ・ゲーム』の中でダメットのThe Game of Tarotを紹介したことの方が大きいのではないかと思う)
 トランプはヨーロッパのものなのだから、その歴史について知りたければヨーロッパの原典に当たらねばならない。その想いで私は『トランプゲームの源流』を執筆したのであり、ヨーロッパのトランプに関しては日本の文献は一切参照しなかった。このような次第で、さんざん迷った挙げ句『とらんぷ』と『トランプものがたり』は参考文献に挙げないことにした。それと同時に「はじめに」のところで「ものによっては150年近くも前から知られていた事柄」と記した。この「150年」という数字をわざわざ出したのは実は「200年ではない」という意味で、要するに「200年も前に出たシンガーの本はもう古いのに、日本ではいつまで経ってもこの古い情報が跋扈しているので、その後の研究成果を紹介します」という意味を込めたある種の皮肉なのである。もっとも「はじめに」を読んでそのように理解した読者がいるとは思えず、我ながらタチの悪い皮肉だと思う。
 またもや念のために言うが、シンガーのResearches into the History of Playing Cardsも間違いなく、大変な名著である。1816年の時点でよくもまああんな本が書けたものだと感嘆する。『トランプゲームの源流』第1巻では残念ながら言及する機会がなかったが、第2巻以降で必ず取り上げることになるはずだ──もっとも批判的に取り上げることになるかもしれないが。
(ちなみに第1巻出版後シンガーを読み返したら「モー」についても言及していたことに気づいて「あ、しまった。第1巻のモーのところでシンガーも取り上げなきゃいけなかった」と思ったことでした)

 私にとって松田道弘氏は「トランプの人」だったが、氏の著作を読むと将棋や囲碁などの伝統的なゲーム、1980年頃のアメリカを中心としたボードゲーム、パズル、ジョーク、映画、推理小説と趣味は多方面に亘っていたことが窺い知れる。そして何よりも「手品・奇術の人」だったと言うべきだろう。興味深いことに阿部徳蔵もまたマジシャンだった。この度の改訂版を出された和泉圭佑氏もマジックの方らしい。手品に関心を持つ人たちが共通してトランプの歴史にも興味の範囲を拡げるというのは興味深いことだ。

 松田氏の趣味が多岐に亘っていたことは事実だが、氏が戦前生まれの人だったことを考慮すると、世間から白眼視されがちな趣味ばかりで、さぞや肩身の狭い思いをなさっていたことと想像する。氏がそうした趣味に走ったのは偉大なる父に対するアンチテーゼだったように私には思われてならない。京都大学医学部で教鞭を執った小児科医であり『育児の百科』という名著のある松田道雄を父に持つということは、いろいろと苦労の多いことだったのではないか。ことによると道雄は道弘に医者になることを期待していたのかもしれない、そうしたことも含めて。
 きっと私の思い過ごしなのだろうが、少なくとも私は松田氏の文章を読むとその根底に「ダメ人間の哀愁」のようなものが流れていると感じる。映画・手品・ゲーム・パズルにうつつを抜かして、父の期待に応えるどころか世間からも「実家が金持ちなのか知らないが、医者の息子が働きもせずに遊び呆けやがって」という風に見られていることに対して後ろめたさや肩身の狭さを感じつつ執筆している雰囲気が何となく伝わってくる気がする。同時にまた、世間から低く見られがちなそうした趣味に対する深い愛着の念も。かく言う私もまた世のため人のために何一つ役に立たないことにばかり興味を持ち、肩身の狭い思いをしながらどうにか生きているダメ人間なので、松田氏の文章には「同じ仲間の匂い」が嗅ぎ取れるように感じる。
(ただし私の実家は普通のサラリーマン家庭で、全然裕福でない点は松田氏と大きく異なる。松田氏の世代では、実家が太くなければ著述業で生計を立てることなどとてもできなかったことだろう)

 これはトリテのアドベントカレンダーの記事なのでトリテの話をしておこう。私はトリックテイキングの何たるかを松田氏の『面白いトランプ・ゲーム』から学んだ。もっと言うとこの本の「ハート」の項を読むことで学んだ。読者の中でもし、これからトリックテイキングを覚えたいと考えている人がいたら、『面白いトランプ・ゲーム』の「ハート」の項だけを繰り返し読み、その上でトリテ慣れした人とハート(ハーツ、ブラックレディ)を繰り返し、飽きるまでプレイすることを勧める。
 『面白いトランプ・ゲーム』の中で解説されているトリテはハート、ピノクル、スカート、ナインティナインしかない。このチョイスがまた素晴らしい。初心者に向けてハート。これでトリテ入門を果たした人に向けて、一生遊べるトリテとしてピノクルとスカートを提示する。そして最後に現代の創作トリテの傑作としてナインティナイン。そう、トリテはこれで十分なのだ。松田氏は間違いなくゲームに対する鋭いセンスの持ち主だったと思う。

 トランプゲームに限らず、1980年代頃まではマンガもアニメもボードゲームもコンピュータゲームも、すべて「子供のもの」だった。大人に許されていたのは囲碁と将棋、それにせいぜい麻雀くらいのものだった。今日のボードゲームブームがあるのも松田氏のような人々が世間からの白眼視に耐え、その魅力を発信してきたからだと言える。私は間違いなくその恩恵を被った一人だ。
(もっともこの点に関しては、1980年代後半以降徐々にコンピュータゲームが市民権を得たこと、そして何より1980年代に日本人が裕福になって「とにかく働け」から「遊びも大事」へと意識改革が起きたことが重要で、それに比べれば松田氏個人の影響力など微々たるものだったのかもしれないが)
 ただ、私は松田道弘氏が著作を通じてトランプゲームの世界に誘ってくれたことについては感謝しているが、「偉大な人」と褒め称えるというのは何か違うと感じている。どちらかというと「ダメ人間はダメ人間なりにどうにか生きていけることを示してくれた先達」というのに近い。おそらく氏は自身が「ダメ人間」だということをはっきりと自覚していて、それでもそれ以外の生き方ができなかった人なのだと思う。そこでやむを得ず腹を括って、歯を食いしばって生きて、ダメ人間としての生涯を全うした人なのだと思う。
 そんな人を「偉大だ」と褒め称えるのは何か違うと思うし、松田氏もそれを望んではおられないだろう。私もダメ人間の後輩として、ただただ感謝の念だけを申し上げたい。ありがとうございました。合掌。

黒宮公彦